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19の時、僕は浪人生でした。当時通っていた予備校の近くに、アムネスティのポスターが張ってあり、そこにアウン・サン・スーチー女史が載っていました。「なんて綺麗な人なんだろう」「どうしたらこんなにも内面からにじみ出るのだろう」と、心奪われたのを覚えています。
当時、古着とスケボーと彼女を作ることにしか興味のなかった僕が、人生で初めて社会に興味を持った瞬間でした。知らないことを知りたいという好奇心からアムネスティのイベントに参加し、ビルマの現状と日本国内で国際協力に関与している人達の存在を知りました。とても大きな衝撃を受けました。これが大学時代の国際協力NGOや今の農業に繋がっています。
今、そのビルマで軍事政権に対するデモが起こっています。スーチー女史は11年以上も軟禁されたままです。そんな理不尽なことが、2007年の現在に起こっていることに大きな憤りを感じます。
今の僕を作ってくれたビルマに対して、何かしたい気持ちでいっぱいです。できることならビルマに行ってデモに参加したいし、大使館前で抗議活動をしたいくらいです。僕は、この場を借りて、できる限りの行動を起こす決意を表明させていただきます。
かれこれ10年以上も前のことでしょうか。学生だった頃に初めてインターネットなるものを使いました。欲しい情報を探しても、意味不明な個人のHPに行ってしまい、非常に苦労した記憶があります。インターネットはすごく便利なツールだけど、世の中には無駄な情報が氾濫している、と思いました。
あれから十数年…。今では、たくさんの人がHPやらブログなるものを立ち上げています。それを見るたびに、「俺は自己満足的で無駄な情報を世の中に氾濫させることには、絶対加担しないぞ」と思ってました。
にもかかわらず、HPとブログをやっています。何かきっかけがあったとか、考え方が変わったとかではありません。ただ、世の中の流れに負けただけです。
けど(でつなぐにはかなりの飛躍があるが)、やるからには面白いブログにしよう、多くの人が見てくれるブログにしようと思い、その日にやったことじゃなくて、思ったこと・考えていることを書いていきます。
追伸 (読み返してみて)今日のは、完全に無駄な情報を発信してるだけだな、こりゃ。(と、ちょっと落ち込む)
この連休に稲刈り&ハザ掛けをしました。
写真の奥にあるように、竹などに干すことをハザ掛けといいます。この辺では、ウシに干すともいいます。(何故ウシ?)
刈ったばかりのお米は水分が多く含まれているため、カビが生えやすかったり、虫が湧きやすかったりします。乾燥させることによって一年間保存できるようにします。今はほとんどの人が乾燥機で乾燥させます。洗濯用じゃなくて、お米専用の乾燥機があるのです。洗濯用の乾燥機をドデカクしたようなものです。
ウチは乾燥機を使わずに、ハザ掛けによってお日様の力で乾かします。天気がよければ10日ほど、悪ければ1ヶ月ほど天日にさらします。
このハザ掛けには、①灯油燃料の乾燥機より地球に優しい、②美しい農村の風景を作っている、③援農に来てくれた方が手伝いやすい作業である、などいろんな理由がありますが、一番の理由はお米が美味しくなることです。乾燥機で急激に乾燥させるとお米に含まれているデンプンが壊れてしまうのに対して、ハザ掛けでゆっくり乾燥させるとデンプンが糖に変わります。
無農薬で作ろうが、除草剤をまかないようにしようが、それはお米を美味しくするための直接的なアクションではありません。ハザ掛けだけが、食味をよくする直接的な農作業だと信じて、今日もハザ掛けに励みます。
追伸 次回の稲刈りは10月6日と13、14日を予定しています。ぜひ援農に来てください。
お彼岸です。この時期に咲く花だから彼岸花です。じゃあ、何で彼岸花は毎年お彼岸の頃に咲くのでしょうか?
植物には温度によって季節を感知する植物と太陽の出ている時間によって季節を感知する植物があるんです。気温はわかるけど、陽の長さってビックリじゃないですか?僕も百姓になるまで知りもしませんでした。
陽の長さを感知する野菜には、大豆、玉ねぎ、モロヘイヤなどがあります。これらの野菜を育てる時は、種を蒔く時期や収穫する時期などを適切に守る必要があります。(もちろん地域ごとに適期は異なります。)
たぶん彼岸花は陽の長さを感知する植物なので、毎年お彼岸の頃に咲くんだろうと思ってました。けど、このブログを書くに当たって彼岸花を調べたところ、そうじゃないことが判明しました。陽の長さを感知するのは、葉っぱの部分です。しかし、彼岸花は出芽と同時に花を咲かせる不思議な植物なので、陽の長さを感知している訳ではないらしいのです。にもかかわらず、毎年同じ時期に芽を出し花を咲かせる生態については、まだ未知の部分が多いそうです。
これを読んでいる人の中で、こんなことに興味がある人は少ないでしょうが、僕は百姓になってから、こんなことに興味が湧くようになりました。こういうことの積み重ねが僕の人格形成に多少なりとも何らかの影響を与えているんだと思うと、ちょっと嬉しい気持ちになります。