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脱穀

本日、乾かしていた稲から穂を落とす作業、脱穀をやりました。稲刈りから12日間干していた稲は、茶色に枯れ上がりました。この茶色こそ、茎葉の栄養と旨みが全て籾(もみ)に行き渡った証拠です。あとは精米屋さんに持って行って白米or玄米にしてもらうのみです。早く新米を食べたい!

ということで新米が採れました。まだ自分も食べてないですが、販売開始です!ふるってご注文ください。

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こいつに悩みはあるんだろうか…

就農1年目は育てている野菜が愛おしくて仕方ありませんでした。マメに雑草を抜いたり、間引きしたり、害虫がいないか探したりしていました。

おかげ様で就農3年目を迎えました。栽培面積も増え、お客さんも増えました。今はどうやって手間をかけずに大量に生産するかということを考えるようになりました。確かに1年目よりきれいな野菜がたくさん作れるようになりました。それを栽培技術の向上というのかもしれません。

今では雑草を抜くのは雑草が生えないような段取りを取れなかったツケになってしまいました。間引きをするのは、正確に播種できなかったツケになってしまいました。害虫にやられるのは丁寧にネットを張ることができなかったツケになってしまいました。

大量生産と大量消費に基づく愛情のない製品が溢れている世の中がイヤだったことが、農業を始めた理由の1つだったはずなのに、ちょっと矛盾しています。

どこまで大量生産を追及し、どこまで手間と愛情を注ぎ続けるのか?

その時期ごとにちょうどいいバランスがあるだろうから、常にちょうどいいバランスを探すべく、常にグダグダと悩み続けることがいいんだろう。なんてことを昨日レタスを植えながらグダグダと考えていました。

19の時、僕は浪人生でした。当時通っていた予備校の近くに、アムネスティのポスターが張ってあり、そこにアウン・サン・スーチー女史が載っていました。「なんて綺麗な人なんだろう」「どうしたらこんなにも内面からにじみ出るのだろう」と、心奪われたのを覚えています。

当時、古着とスケボーと彼女を作ることにしか興味のなかった僕が、人生で初めて社会に興味を持った瞬間でした。知らないことを知りたいという好奇心からアムネスティのイベントに参加し、ビルマの現状と日本国内で国際協力に関与している人達の存在を知りました。とても大きな衝撃を受けました。これが大学時代の国際協力NGOや今の農業に繋がっています。

今、そのビルマで軍事政権に対するデモが起こっています。スーチー女史は11年以上も軟禁されたままです。そんな理不尽なことが、2007年の現在に起こっていることに大きな憤りを感じます。

今の僕を作ってくれたビルマに対して、何かしたい気持ちでいっぱいです。できることならビルマに行ってデモに参加したいし、大使館前で抗議活動をしたいくらいです。僕は、この場を借りて、できる限りの行動を起こす決意を表明させていただきます。

ハザ掛け2

かれこれ10年以上も前のことでしょうか。学生だった頃に初めてインターネットなるものを使いました。欲しい情報を探しても、意味不明な個人のHPに行ってしまい、非常に苦労した記憶があります。インターネットはすごく便利なツールだけど、世の中には無駄な情報が氾濫している、と思いました。

あれから十数年…。今では、たくさんの人がHPやらブログなるものを立ち上げています。それを見るたびに、「俺は自己満足的で無駄な情報を世の中に氾濫させることには、絶対加担しないぞ」と思ってました。

にもかかわらず、HPとブログをやっています。何かきっかけがあったとか、考え方が変わったとかではありません。ただ、世の中の流れに負けただけです。

けど(でつなぐにはかなりの飛躍があるが)、やるからには面白いブログにしよう、多くの人が見てくれるブログにしようと思い、その日にやったことじゃなくて、思ったこと・考えていることを書いていきます。

追伸 (読み返してみて)今日のは、完全に無駄な情報を発信してるだけだな、こりゃ。(と、ちょっと落ち込む)

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