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最近、「これからどこに向かって行こう」か悩んでる。

どんな農業をやって、どんな生活をしていくのか。一言で農業と言っても、年収1000万の農業と自給自足の家庭菜園的な農業では全然違うように、僕はどんな農業をやっていくんだろうか。

年収1000万を目指すのか、従業員を雇うのか、夫婦2人でそこそこのところを目指すのか、収入よりもゆっくりと暮らすことに重点を置くのか。さらには、野菜を増やしていくのか、米を増やしていくのか、蜂蜜を増やしていくのか、鶏卵をはじめてみるのか、果樹をやってみるのか、レストランや民宿をやってみるのか、加工工場を作ってみるのか、料理教室でもやってみるのか、レシピ本や写真集でも出版してみるのか。

何を目標として、どういう順番で進めていくか。労働力と財源に限りがあるから、そうとう頭を使わないと厳しい道のりになることは、容易に想像できる。学生や会社員の時は、目の前にある課題をその立場に応じたやり方で上手にクリアしていくことが大切だったのに対して、今は遠くのゴールを見据えてそこから逆算していく感じだ。

まずは向かうべき先、つまりはゴールを見据えないと、その道筋すら考えることができない。何も考えずに生活しちゃうと目先の売上を伸ばすことだけに邁進してしまう。それだけじゃ、あんまり面白くなさそうだ。そろそろカミさんに相談してみるか。

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永六輔の「職人」という本の中に「職人は職業ではない。生き方だ。」というフレーズがあった。強く共感した。

世の中やモノの見方・感じ方・捉え方みたいなものが百姓になったからになりつつある。百姓になってから「何でだろう」「どうしてこうなるんだろう」という疑問が多々浮かぶようになり、何か作業をしながらそのことについて1日中考えたりするようになった。「これがこうだからこうなって…」と順々にひも解いていく感じ。

具体例を挙げると大したことないんだけど、①農機具を修理するときに故障状況から仮説を立てては1つ1つ点検していったりだとか、②作物がうまく育たなかったときにその原因を思いつく限り挙げて翌年までに全ての対処方法を頭の中で組み立ててみるだとか。

例えば、賞味期限の偽装表示の事件を見たときや、中学生に勉強を教えているときとかに、「何でこういう事件をおこしたんだろう」とか「何でこの生徒はいつもココでつまずくんだろうか」ということを考えて、いろんな仮説をたててみる。そんな作業をしてみて、解決できるとすごく嬉しい。

別に百姓じゃなくてもそういった思考回路で生きている人はたくさんいるんだろうけど、僕は百姓になってからこうなった。これが百姓になってよかったと思うことの1つだ。永六輔の本を読んでそんなことを考えた。

さといも

東京で生まれ東京で育ったが、高校生の頃から東京が嫌いで嫌いで仕方がなかった。

高校時代は吉祥寺で多くの時間を費やしたが、雨の日には友達と話しをする場所がファーストフードや喫茶店しかないのが、金のない高校生にとっては苦痛だった。(もちろん、天気のいい日は金のかからない公園やデパートの屋上でだべってた。)

東京が嫌いなのは、街に、文字(看板など)が多すぎて、人が多すぎて、モノが多すぎて、全てがお金中心なところ、地球に優しくないのが嫌だった。そのストレスから解放されたくて、休みになると何もない田舎に行っていた。

田舎に住んでいる今は、休みになると田舎ではなく、東京に行きたいと思う。行ったら行ったでクタクタになって帰ってくるんだけど、東京に行く。東京は相変わらず文字も人もモノも多すぎるが、住んでいるのはなく、たまに遊びに行くだけだと、楽しく感じる。

東京は住むところじゃなく、遊びに行くところになった。友人もいるし、飲み屋もあるし、遊びに行くには最適の街だと思った。

麦を蒔き終わりました。
麦は湿気に弱いので、水ハケのいい圃場を選びます。さらに、種を蒔く日も圃場が乾いていて、数日間雨が降らなそうな日を選びます。お米と同じように1列ずつ30cm間隔で蒔きます。
その後は、春までに除草をしたり麦踏みをしたりして株を増やします。冬を乗り越え春1番の除草が成功すれば、あとは5~6月の収穫期に晴れが続くのを祈るだけです。
このように、麦は冬のあいだ寒さに耐えながらじわじわと根を伸ばし、春の訪れと同時に一斉に成長する作物です。冬の寒さに耐えている姿はとてもけな気です。無事収穫を迎え、うどんや麦茶になることを願います。
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